EP0-2「私のルーツ」〜日本での生活とキャリア〜

私は1975年、大阪で生まれ、転勤族のサラリーマン家庭の長男として育ちました。石川、香川、名古屋、神奈川、茨城と、子供時代は全国各地を転々とし、転校を繰り返しながら成長しました。そのため、新しい環境に順応する力が自然と身につきました。また、小学校2年生から始めた剣道と小学校4年生からのボーイスカウト活動が、私の人格形成に大きく寄与しています。

家庭では、多くの兄弟と美食家の父の影響で、食べること、そして料理することの楽しさを幼い頃から学びました。これが、私の料理への深い探求心を育てることになります。

中学3年の春からは高校卒業まで鳥取県米子市で過ごし、その地を実家と呼ぶようになりました。大学卒業後は、バンド活動やアルバイト、家系ラーメンに明け暮れる日々。音楽への情熱を追求する一方で、社会人としての第一歩を地元で踏み出すことになります。

私の社会人生活は、鳥取県での団体職員としてスタートしました。商品配達と営業を組み合わせた仕事で、日々多くの組合員と接しながら、コミュニケーション能力や人との信頼関係を築く重要性を学びました。また、エンターテイメントとしての接客も重要視し、日々の業務に活かしていました。

30代で、何となくの気持ちで退職し、友人の父親の選挙活動を手伝うことから議員秘書の世界に足を踏み入れます。しかし、その後、自分の本当にやりたいことを見つけるために、イベント企画の道へと進むことに。音楽活動で築いた人脈と経験を活かし、地元でイベント企画の基礎から学び始めました。

個人事業主としてのキャリアを経て、さらに多くのことに挑戦したいという思いから会社を設立。イベント業と店舗の立ち上げに没頭し、現在ではWEB制作をメインとする事業を行なっています。

そして、人生の大きな転機となる40代中盤。新たなパートナーとの再婚や妻の起業支援など、私生活においても多くの変化がありました。これらの経験が、さらに人としての深みを加えることに。そして、50歳を目前にして新たな挑戦を決意し、ベトナムでの生活を本格的に考えるようになったのです。

ベトナムで何を成し遂げることができるのか、周りの人々にどのように貢献できるのか、そして自分の存在意義は何か。これらの問いに答えながら、新たな人生を歩み始めています。

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